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安河内姓の由来

 この世で初めて安河内と名乗った人は、一体どんな人だったのでしょうか?どのような経緯で安河内という姓が生まれたのでしょうか?ルーツというものに関心をもったことのある方なら、一度はロマンを抱きながらこのようなことを考えたことがあるでしょう。ここでは「安河内姓の由来」について考察します。

仮説1 二家の合流説

 私は安河内という姓が三文字であることに注目しています。安河内は「安河(川)」と「河内」に分けることが出来るではないですか。どちらも苗字として現 存しています。安川家と河内家・・・このどちらかから安河内家の祖が誕生したとしたら、両家のルーツを探ることによって、安河内家の家祖から更に古い時代 に思いを馳せることが出来るのです。
 掲示板に発言していただいたGAIANTSさんのご意見ですが、安川と限定せずに安田などの「安」がつく苗字と河内家が一つになったという可能性もあり ます。そう考えると随分幅が広がるわけで、家紋などの共通項が見つかれば、この説にも信憑性がでてくるでしょう。今後の課題です。

仮説2 家紋から探る

安川と河内の合流ではないか?と上述しましたが、河内家のルーツを調べてみると、このように書いてありました。
  河内国造の凡河内(おおしこうち)族及び河内連(むらじ)などの古族で、下野国河内郡に毛野(けぬ)氏族、中世では清和源氏深栖氏族、他に、下総の千葉氏族、甲斐の武田氏族、美作の楠木氏族など発祥地により多系あります。
 我が家の家紋は「丸に松皮菱」、菱紋のルーツは武田菱ですから、甲斐の武田氏族をルーツとする河内氏の一人がやがて安河内という姓を名乗るようになって、その時家紋は菱紋を受け継いだ・・・このように考えればつじつまが合わないでもありません。
 ゆえに、菱紋という共通項から、安河内家の家祖は河内から誕生したと仮説を立てました。

仮説3 地名由来説

 苗字は8割がた地名を由来とするといわれていますが、調べてみたところ、全国でも安河内という地名は福岡県鞍手郡若宮町に一つだけありました。住宅地図 で見てみると、確かにこの土地には安河内姓が多く居住していますが、残念ながら今のところ先祖との関連性は見出されていません。しかし、ここには安河内と いうバス停があって、その近くを流れる犬鳴川に掛かっている小さな橋の名が、なんと「安川内橋」といいます。いかにも因縁浅からぬ雰囲気があるのですが、 それ以上の手がかりがなく、残念です。

 では、河内ではどうでしょうか。○○河内という地名は全国にたくさんあるので、ふと河内という言葉にどんな意味があるのか知りたくなって調べてみました。すると分かりました。一本の川を境にして、自分の方を川うち(川内・河内)、反対側を川向こうなどと呼ばれていたそうです。川が安河内姓の秘密を解き明かすキーになるかもしれません。
 では安川という川はあるのでしょうか?これも調べてみたらありました。広島に安川という川がしっかり流れています。じゃあ、安川の川内だから安河内と なったなら話は早いのですが、安河内家と広島を結びつける材料が一切なく、関連性は見出せません。ですから、仮説の一つとしてあげるのすら申し訳ないほど です。他には高知県に夜須川、滋賀県に野洲川がありますが、これも同じです。

 「ヤス」という言葉についても調べてみました。福岡県の夜須は、「日本書記」では、「安」としるされ、それ以前は層増岐野(ソソキノ)といわれていまっ した。その後「続風土記」に夜須川の名称がでて、中世の郡名に「夜須」が使われ現在に至っています。この「ヤス」が日本では最も古く、安田、安来、野洲な どの地名として中国地方、四国、近畿にひろがり、近江の野洲(古くは「益須」記されている)に古代の「安の国造」が置かれていたとされています。以北では 新潟地方に安田の地名が2箇所あるだけで、九州に起こった地名が西日本にひろがったとみて間違いないと思います。「ヤス」にちなんだ苗字、安池、安川、安 武など50以上あるようですが、地名に縁のある「ヤス」族の発展と関連していると、書かれています。

 果たして、安河内は地名に縁のある苗字なのかどうか?ルーツを探るというのは、実のところ、こういう推測や議論こそがその醍醐味であって、例えば邪馬台 国は九州にあった、いや奈良にあったとか、源義経は蒙古に渡ってチンギス・カーンになったとかならなかったとか、ああでもないこうでもないと言い争うのが また楽しいんですよね。ですから、本当のことが分かってしまったら、議論する余地がなくなってしまって、意外とつまらないものかも知れません。しかし、分 かったらやはり興奮するでしょうね。
 私としては、安河内家の起源を明らかにするだけでは満足できません。安河内家の家祖もその前は別の姓を名乗っていたはずであり、その姓にも家祖がいて、 さらに以前の姓があったはずです。さかのぼって行くとどこまでいくんでしょうね。知れば知るほどもっと知りたくなって、恐らく人類始祖までたどり着かない ことには、私の好奇心は満たされないでしょう。
 たった一組の父母から皆生まれたなら、まさしく人類はみな兄弟であり、ましてや同じ姓を持つ安河内一族の人々は、なおさら仲良く手を取り合って助け合わ なければなりません。みんなで様々な情報を持ち寄って、第四・第五の説を立てましょう。奇抜な説をお待ちしております。

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