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先祖発見か!?

  安河内延昌

 和白系安河内の系図が明らかになって、安河内延昌は9代目にあたるご先祖様だということがはっきりしました。実はこの安河内延昌・・・現在、福岡市東区和白丘にある大神神社を 立てた人物で、それは大神神社を訪ねてみれば石碑に刻まれているので、誰でも読むことができます。では、大神神社の境内にある「大神神社略記」を紹介しま しょう。

大神神社 略記

御祭神 大物主神(大国主命 大黒神)御由緒神功皇后、三韓御渡航の節、大和の将兵この地に駐屯その折勧請し渡船の無事を祈願したと伝う。立花城の守護神として城主の篤い崇敬をうける。元亀二年立花城主より燈明田の寄進あり、立花城家臣の一族安河内延昌(安河内家祖)が下和白を領し、この地に移住し、大神大明神を分祀する。慶長五年下和白となり古宮(生水)より現境内地に社殿建立し御遷座する。寛永十年御社殿奉再建さる。「名暦元年(一六五五)の石燈籠や正徳四年七月に安河内善六他氏子が寄進した鳥居(和白地区最古)等がある」

 

境内神社
 貴船神社(多加雄神・菅原神)
 若宮神社(仁徳天皇)
 猿田彦神社(猿田彦神)
祭事
  一月 元始祭
  二月 祈願祭
  四月 祓日籠祭
  七月 夏日籠祭
  十月 注連卸祭
 十二月 大祓祭


注 裏面 平成五年吉日
御遷座記念  寄進者  安河内弘昌
 注 正徳四年(一七一四年)

所在地 福岡市東区和白丘一丁目

 

和白丘の大神神社

 

 さて、安河内延昌が建てたという大神神社、これはどんな神社なのでしょうか?右の写真が福岡市東区和白丘にある大神神社です。実は、福岡市の東区には距離にして約1300mのところにもう一つの大神神社があります。場所は福岡市東区高美台2丁目。 高美台の大神神社略記によれば『神功皇后ご征韓の節大和の将兵此の地に駐屯の折り勧請したるものと伝う 立花城主は守護神として特に崇拝厚かりし(後 略)』とあり、祭神については『大物主大神(大神大明神)を奉斎す 出雲大社と並ぶ大神社(大和国1の宮)の分社なり』とあります。 なぜ、大神神社が隣接して建てられたのか、理由ははっきりしていません。

 

 

では、大神神社が建てられたという元亀二年(1571年)とはどのような時代だったのでしょうか?・・・
 世は室町時代末期、数年後には戦国時代の幕開けを迎えようとしていた時、その時福岡は大友宗麟が治めていました。キリシタン大名の主君によくつかえた家 臣、立花道雪・・・彼が現在の古賀市にある立花山山頂に立てられてた立花城を任されていました。1571年はちょうど立花道雪が立花城主として赴任した年 であり、立花城主の家臣だったということですから、安河内延昌が下和白を与えられたのも立花道雪による任命だったのでしょう。
 さあ、我らのご先祖様が仕えた立花道雪とはどんな人間で何をなした人だったのでしょうか?また立花城とは?その歴史を辿ってみたいと思います。下の興味のある項目をクリックしてください。

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